今日も朝からゼミやって、立川で部活やってきました。
新人戦まであと一ヶ月。
下の子達はもっと頑張ってね!!
りょうは早くバンド解散してね 笑
それでは本題に入りましょう。
今日のテーマは僕の根本的な問題意識の部分です。
ってか僕って日記で結構学術的なものを書くじゃないですか。
これってもちろん思ってることをみんなに伝えたいっていうのもあるんですが、自分の思考を整理するためにやってる部分もあるんです。
だから完璧に文脈がつながってないところもあるかもしれないし、論理の飛躍もあるかもしれません。
ただ日記を読んで少しでも感じることがあれば、
また何かを考えるキッカケになれば幸いです。
たまにこんなような質問をされるのでお断りを入れておきました。
あとミクシーから見れないからメンドイって言う方はケータイでバーコード読み取っといてください 笑
「日本政治文化のパラドックス」
今日はこんなタイトルにしました。
僕は現在、日本の政治を卒論で書いています。
この卒論の目的は、簡単にいってみれば「日本の政治文化にみられるパラドックスについて考えてみる」ことなんです。
僕は最初に「日本人の政治参加意識」という切り口からスタートしました。
しかしこの観点で考えていくと、どうもうまくいかない。
日本人の政治意識って高いと思いますか?それとも低いと思いますか?
この問いはきわめて難しいと思うんです。
高いとはいえないけど、低くもないんじゃないか。
これが最初の正直な感想です。
政治参加の度合いを測る一つの指標として、選挙の投票率ってありますよね。
実際に戦後の推移をみていくと確かにトレンドとして、ちょっとずつ下がってきている。
しかし幾つかの時期においてある種の「政治的ブーム」みたいなの存在していて、その時期だけ選挙率が跳ね上がる。
ちょっと考えてみると、実際日本の世の中って「政治的なもの」で溢れていると思うんです。
テレビをつければ必ず政治関連のものがやってるし、お昼のワイドショーなんてその典型です。
決して政治的な関心が低いわけではない。
ただ国民が高い政治参加意欲を持っているかって考えてみるとそうでもない。
つまり「日本人の政治意識が高いか、低いか」っていう思考パターンだと本質が見えてこないんです。
それで「日本人が“政治”を考える際に、意識的に或いは無意識的にイメージするものや、深層心理にあるものを探ってみる」というやりかたにしたんです。
これを考えてみると、実に多くのことがみえてくる。
日本人はある種のパラドックスを持ってるように感じるんです。
まず日本人はパブリックに対する絶対的なある種の「信頼」みたいなものがあると思うんです。
その例はおそらく無尽蔵に挙げられるでしょう。
「国立」「公立」優位の文化や、お役所頼り、権威に対して従属的な習性 etc・・・
一つイメージしやすい例を挙げるとすれば、日本には「尭舜の治」という言い回しがあります。
これはもともと中国から輸入された言葉ですが、義務教育の教科書などにも出てくると思います。
古代中国において、尭と舜という聖君主がいました。
彼らの治世はとても平和で、被治者たちは自分の暮らしに何の憂いも持たずに、安穏に暮らすことことができたといいます。
尭と舜は伝説上の人物なのですが、この尭舜の治世が日本で理想と長年されてきたその事実のほうが重要なのです。
つまり「統治者」は「被治者」が困らないように、的確で正当なる統治を行うべきだというエートスです。
この意識の前提には“概念”としての「統治者」に対する、信服や信頼があるわけです。
しかしその一方で日本人は政府や官僚組織に対しての不信感が強い。
国際比較のデータとして見られる傾向です。
特に昨今は政官財のスキャンダルや不祥事の連続で、この傾向が顕著に出ているとおもいます。
これは皆さん納得のいくものでしょう。
この相反する現象が錯綜するのが日本人の政治意識だと思うんです。
つまりなんとなく「公」=(パブリックな概念)に対しては根拠のない信頼を置いているのに、実際にそのイデーを具現化したはずの政治組織や官僚組織に対しては信頼していない。
この矛盾が「裏切られた」という観念につながるわけです。
このパラドックスは何故生まれたのか。
このパラドックスをどう乗り越えるか。
これを考えるのが僕の研究の主題です。
今日はこんなタイトルにしました。
僕は現在、日本の政治を卒論で書いています。
この卒論の目的は、簡単にいってみれば「日本の政治文化にみられるパラドックスについて考えてみる」ことなんです。
僕は最初に「日本人の政治参加意識」という切り口からスタートしました。
しかしこの観点で考えていくと、どうもうまくいかない。
日本人の政治意識って高いと思いますか?それとも低いと思いますか?
この問いはきわめて難しいと思うんです。
高いとはいえないけど、低くもないんじゃないか。
これが最初の正直な感想です。
政治参加の度合いを測る一つの指標として、選挙の投票率ってありますよね。
実際に戦後の推移をみていくと確かにトレンドとして、ちょっとずつ下がってきている。
しかし幾つかの時期においてある種の「政治的ブーム」みたいなの存在していて、その時期だけ選挙率が跳ね上がる。
ちょっと考えてみると、実際日本の世の中って「政治的なもの」で溢れていると思うんです。
テレビをつければ必ず政治関連のものがやってるし、お昼のワイドショーなんてその典型です。
決して政治的な関心が低いわけではない。
ただ国民が高い政治参加意欲を持っているかって考えてみるとそうでもない。
つまり「日本人の政治意識が高いか、低いか」っていう思考パターンだと本質が見えてこないんです。
それで「日本人が“政治”を考える際に、意識的に或いは無意識的にイメージするものや、深層心理にあるものを探ってみる」というやりかたにしたんです。
これを考えてみると、実に多くのことがみえてくる。
日本人はある種のパラドックスを持ってるように感じるんです。
まず日本人はパブリックに対する絶対的なある種の「信頼」みたいなものがあると思うんです。
その例はおそらく無尽蔵に挙げられるでしょう。
「国立」「公立」優位の文化や、お役所頼り、権威に対して従属的な習性 etc・・・
一つイメージしやすい例を挙げるとすれば、日本には「尭舜の治」という言い回しがあります。
これはもともと中国から輸入された言葉ですが、義務教育の教科書などにも出てくると思います。
古代中国において、尭と舜という聖君主がいました。
彼らの治世はとても平和で、被治者たちは自分の暮らしに何の憂いも持たずに、安穏に暮らすことことができたといいます。
尭と舜は伝説上の人物なのですが、この尭舜の治世が日本で理想と長年されてきたその事実のほうが重要なのです。
つまり「統治者」は「被治者」が困らないように、的確で正当なる統治を行うべきだというエートスです。
この意識の前提には“概念”としての「統治者」に対する、信服や信頼があるわけです。
しかしその一方で日本人は政府や官僚組織に対しての不信感が強い。
国際比較のデータとして見られる傾向です。
特に昨今は政官財のスキャンダルや不祥事の連続で、この傾向が顕著に出ているとおもいます。
これは皆さん納得のいくものでしょう。
この相反する現象が錯綜するのが日本人の政治意識だと思うんです。
つまりなんとなく「公」=(パブリックな概念)に対しては根拠のない信頼を置いているのに、実際にそのイデーを具現化したはずの政治組織や官僚組織に対しては信頼していない。
この矛盾が「裏切られた」という観念につながるわけです。
このパラドックスは何故生まれたのか。
このパラドックスをどう乗り越えるか。
これを考えるのが僕の研究の主題です。
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☆★僕の想いを伝える日記☆★
「この世の中はおかしい」。そんな風に思う人はきっと多い。理想の生き方とはなにか。理想の社会とはなにか。そんなことを考え続ける人間でありたい。
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HN:
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38
性別:
男性
誕生日:
1986/06/17
職業:
コンサルタント
趣味:
アルティメットフリスビー、読書
自己紹介:
はじめまして。Aichiです。
コンサルファームでアナリストをやっています。
【生きていく上で大切にしたい3か条】
1.矜持を持つ
僕は「矜持」という言葉が好き。
自分を正当化するためのプライドなんて必要ない。
自分に変なプライドがあって、
自分の可能性を狭めているのなら、
そんな偏屈な自尊心はポイっしたい。
素直な心があってこそ、
「誇り」は自らの力となる。
2.「理想主義」であること
僕は「現実主義」という言葉が好きじゃない。
よく「現実を見ろ」っていいますよね。
でもそれって結局のところ「現状維持」なんです。
理想を描ける人になりたい。
理想を語ることのできる人になりたい。
そういう意味での「理想主義」です。
3.誰かのために頑張れること
「社会貢献」ってよく聞きますけど、
それは一体何を意味するのでしょう。
「自分のまわりの人たちを大切にすること」、
僕はそんな風に定義できるのだと思います。
もちろん“まわり”っていうのは様々な範囲がある。
だから、ボランティアでゴミ拾いをしている人たちや、
食糧支援をしているNGOだけが「社会貢献」を担っているわけではない。
本当に小さなことでもいい。
「あなたがいてよかった」、
そんな風に思ってくれる人が一人でもいてくれれば、
それは紛れもなく「社会貢献」なのです。
コンサルファームでアナリストをやっています。
【生きていく上で大切にしたい3か条】
1.矜持を持つ
僕は「矜持」という言葉が好き。
自分を正当化するためのプライドなんて必要ない。
自分に変なプライドがあって、
自分の可能性を狭めているのなら、
そんな偏屈な自尊心はポイっしたい。
素直な心があってこそ、
「誇り」は自らの力となる。
2.「理想主義」であること
僕は「現実主義」という言葉が好きじゃない。
よく「現実を見ろ」っていいますよね。
でもそれって結局のところ「現状維持」なんです。
理想を描ける人になりたい。
理想を語ることのできる人になりたい。
そういう意味での「理想主義」です。
3.誰かのために頑張れること
「社会貢献」ってよく聞きますけど、
それは一体何を意味するのでしょう。
「自分のまわりの人たちを大切にすること」、
僕はそんな風に定義できるのだと思います。
もちろん“まわり”っていうのは様々な範囲がある。
だから、ボランティアでゴミ拾いをしている人たちや、
食糧支援をしているNGOだけが「社会貢献」を担っているわけではない。
本当に小さなことでもいい。
「あなたがいてよかった」、
そんな風に思ってくれる人が一人でもいてくれれば、
それは紛れもなく「社会貢献」なのです。
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