なんてお久しぶりなのでしょう。 あいちです。
もうかれこれ2ヶ月間以上放置してしまいました。
会社の研修に忙殺され,つい最近は,マレーシアに行ってきました。
そして日本の将来をきめる(かもしれない)総選挙ももうすぐです。
もうかれこれ2ヶ月間以上放置してしまいました。
会社の研修に忙殺され,つい最近は,マレーシアに行ってきました。
そして日本の将来をきめる(かもしれない)総選挙ももうすぐです。
前回の日記では,日本では一人の一票に対する有効感というか,効果というものを感じられにくいというお話でした。
今日はそれに加えて,僕が思うことを少し書いておきます。
まず,僕たち一人の一票にはとても大きな価値がある。
そして組織票とよばれるような,ある団体から特定の政党へ流れるような票と普通に政治とは無関係に暮らしている人々が持つ票では,同じ一票でも価値が違うのです。
たいてい,政治家は選挙において得票率が10%上がると大慌てです。
これは何人もの国会議員から実際に聞いた話です。
だから「投票率は低いほうがいい」なんてTVで言ってしまう議員さんも出て来てしまうわけです。
実は,普段投票に行かないような無党派層は,非常に大きな力を持っているのです。
郵政選挙がそれを物語っています。
また,『政治家は選挙のことしか考えてない…』こんな不平不満をよく耳にしますよね。
これにも問題があるといわざるを得ません。
政治家はみんなに投票されることによって信任されるわけです。
だから選挙を考えないと政治家ではありえない。
もちろん政治家の約束がどれだけ果たされたのかをチェックするシステムをつくる必要があります。
だからいまのマニフェスト選挙の流行は大きな流れとしては間違っていません。
最近はいろんな団体が自民と民主のマニフェスト検証を行い,点数化しています。
日本の国政に初めて『選択肢』が用意されたと言えるかもしれません。
最後に,もちろん自民と民主という形で国の将来を僕たちが選んでいくのにも限界があります。
ただ大きな歴史のうねりの中で,意味のあるスタートであることに間違いありません。
僕の私見ですけど,日本の政治を,本当の意味で「自分たちのもの」にしていくには3つのステップが必要です。
まず戦後日本が持つ,あるいは明示維新の時代からつらなる構造的な問題にメスをいれること。
すなわち官僚機構と政治の問題や選挙の問題です。
次に政界の再編を行い,ビジョンや思想によって政党をつくること。
最後に国政の役割を極力減らしていくこと。すなわち地域主権を進めていくことです。
これらを成し遂げていくことによって,あたらしい国の形をつくることができるはずです。
僕たちは幸せなことに,20才になれば何もしなくても選挙権がもらえます。
ただあまりに簡単すぎて,その意味や大切さを考える機会を失ってしまっているのかもしれません。
確かに政治を考えなくても人は暮らしていけます。
でも「よりよい生き方」を求めるのなら,「よりよい社会」を求めるのなら,人は政治と無関係に生きてはいけません。
変化の激しい,不安定な時代だからこそです。
多くの不満やたくさんの問題を抱える時代だからこそ,そんな風に思う人々が増えるからこそ,新しい社会をつくることができるのです。
僕の尊敬する丸山真男さんは,「普通の人々が政治のことを考えるの一日一分で十分だ」といっています。
そんなみんなの一分が国の形や社会の在り方を決める。
そんな実感が持てる世の中を作っていこうではありませんか。
あいち〆
今日はそれに加えて,僕が思うことを少し書いておきます。
まず,僕たち一人の一票にはとても大きな価値がある。
そして組織票とよばれるような,ある団体から特定の政党へ流れるような票と普通に政治とは無関係に暮らしている人々が持つ票では,同じ一票でも価値が違うのです。
たいてい,政治家は選挙において得票率が10%上がると大慌てです。
これは何人もの国会議員から実際に聞いた話です。
だから「投票率は低いほうがいい」なんてTVで言ってしまう議員さんも出て来てしまうわけです。
実は,普段投票に行かないような無党派層は,非常に大きな力を持っているのです。
郵政選挙がそれを物語っています。
また,『政治家は選挙のことしか考えてない…』こんな不平不満をよく耳にしますよね。
これにも問題があるといわざるを得ません。
政治家はみんなに投票されることによって信任されるわけです。
だから選挙を考えないと政治家ではありえない。
もちろん政治家の約束がどれだけ果たされたのかをチェックするシステムをつくる必要があります。
だからいまのマニフェスト選挙の流行は大きな流れとしては間違っていません。
最近はいろんな団体が自民と民主のマニフェスト検証を行い,点数化しています。
日本の国政に初めて『選択肢』が用意されたと言えるかもしれません。
最後に,もちろん自民と民主という形で国の将来を僕たちが選んでいくのにも限界があります。
ただ大きな歴史のうねりの中で,意味のあるスタートであることに間違いありません。
僕の私見ですけど,日本の政治を,本当の意味で「自分たちのもの」にしていくには3つのステップが必要です。
まず戦後日本が持つ,あるいは明示維新の時代からつらなる構造的な問題にメスをいれること。
すなわち官僚機構と政治の問題や選挙の問題です。
次に政界の再編を行い,ビジョンや思想によって政党をつくること。
最後に国政の役割を極力減らしていくこと。すなわち地域主権を進めていくことです。
これらを成し遂げていくことによって,あたらしい国の形をつくることができるはずです。
僕たちは幸せなことに,20才になれば何もしなくても選挙権がもらえます。
ただあまりに簡単すぎて,その意味や大切さを考える機会を失ってしまっているのかもしれません。
確かに政治を考えなくても人は暮らしていけます。
でも「よりよい生き方」を求めるのなら,「よりよい社会」を求めるのなら,人は政治と無関係に生きてはいけません。
変化の激しい,不安定な時代だからこそです。
多くの不満やたくさんの問題を抱える時代だからこそ,そんな風に思う人々が増えるからこそ,新しい社会をつくることができるのです。
僕の尊敬する丸山真男さんは,「普通の人々が政治のことを考えるの一日一分で十分だ」といっています。
そんなみんなの一分が国の形や社会の在り方を決める。
そんな実感が持てる世の中を作っていこうではありませんか。
あいち〆
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☆★僕の想いを伝える日記☆★
「この世の中はおかしい」。そんな風に思う人はきっと多い。理想の生き方とはなにか。理想の社会とはなにか。そんなことを考え続ける人間でありたい。
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Aichi
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38
性別:
男性
誕生日:
1986/06/17
職業:
コンサルタント
趣味:
アルティメットフリスビー、読書
自己紹介:
はじめまして。Aichiです。
コンサルファームでアナリストをやっています。
【生きていく上で大切にしたい3か条】
1.矜持を持つ
僕は「矜持」という言葉が好き。
自分を正当化するためのプライドなんて必要ない。
自分に変なプライドがあって、
自分の可能性を狭めているのなら、
そんな偏屈な自尊心はポイっしたい。
素直な心があってこそ、
「誇り」は自らの力となる。
2.「理想主義」であること
僕は「現実主義」という言葉が好きじゃない。
よく「現実を見ろ」っていいますよね。
でもそれって結局のところ「現状維持」なんです。
理想を描ける人になりたい。
理想を語ることのできる人になりたい。
そういう意味での「理想主義」です。
3.誰かのために頑張れること
「社会貢献」ってよく聞きますけど、
それは一体何を意味するのでしょう。
「自分のまわりの人たちを大切にすること」、
僕はそんな風に定義できるのだと思います。
もちろん“まわり”っていうのは様々な範囲がある。
だから、ボランティアでゴミ拾いをしている人たちや、
食糧支援をしているNGOだけが「社会貢献」を担っているわけではない。
本当に小さなことでもいい。
「あなたがいてよかった」、
そんな風に思ってくれる人が一人でもいてくれれば、
それは紛れもなく「社会貢献」なのです。
コンサルファームでアナリストをやっています。
【生きていく上で大切にしたい3か条】
1.矜持を持つ
僕は「矜持」という言葉が好き。
自分を正当化するためのプライドなんて必要ない。
自分に変なプライドがあって、
自分の可能性を狭めているのなら、
そんな偏屈な自尊心はポイっしたい。
素直な心があってこそ、
「誇り」は自らの力となる。
2.「理想主義」であること
僕は「現実主義」という言葉が好きじゃない。
よく「現実を見ろ」っていいますよね。
でもそれって結局のところ「現状維持」なんです。
理想を描ける人になりたい。
理想を語ることのできる人になりたい。
そういう意味での「理想主義」です。
3.誰かのために頑張れること
「社会貢献」ってよく聞きますけど、
それは一体何を意味するのでしょう。
「自分のまわりの人たちを大切にすること」、
僕はそんな風に定義できるのだと思います。
もちろん“まわり”っていうのは様々な範囲がある。
だから、ボランティアでゴミ拾いをしている人たちや、
食糧支援をしているNGOだけが「社会貢献」を担っているわけではない。
本当に小さなことでもいい。
「あなたがいてよかった」、
そんな風に思ってくれる人が一人でもいてくれれば、
それは紛れもなく「社会貢献」なのです。
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