みなさんこんにちわ。
今日は最近やってる学生運動について少し書きます。
会議やらなんやらで忙しい日々ですが、今やってることはそれだけの価値があると思います。
今日は最近やってる学生運動について少し書きます。
会議やらなんやらで忙しい日々ですが、今やってることはそれだけの価値があると思います。
RINGとは、有志の学生で去年の末に立ち上げた団体のことです。
(ここから僕の意見なんで、RINGメンバーで何かあればどうぞ)
大学生と国会議員がディスカッションした動画を流したり、
大学生の意見や思いを吸い上げて政治家に伝えたり、
逆に政治家が若い人に求めるものを吸収したり・・・
そんな企画をしています。
活動の目的を簡潔にいえば、ある種の「メディア」をつくること。
「政治」と若い人をつなぐリングになるということ。
そして若い人の「政治」に対する考え方を少しでも変えること。
これに尽きます。
日本では若い人の意見や主張が政治に反映されることが少ないように思います。
「政治は本当に若い人のことを考えているのか?」
こんな疑問も出てきます。
しかし20代前半の投票率は30%とか35%くらいしかありません。
日本では年を取るごとに投票率が上がっていき、60-70歳くらいがピークになっています。
選挙のことを考えない政治家はいません。
これは仕方がないことです。
誰が悪いとかそんな話でもないし、選挙はないよりかはあったほうがずっといいに決まっています。
「投票する権利を持っているのなら、それを使わなければもったいない」
「今の社会に不満を持っているのなら、投票で意思を示すべき」
こんな意見を皆さんも、よく耳にすると思います。
最も正論で非の打ち所がありません。
しかし今の日本では、
このことがなんか「胡散臭く」聞こえたり、
信憑性を持って考えられないような状況があるわけです。
「自分が何かやってもどうせ変わらない」
そんな風に思ってしまう。
そしてこの状況は、誰々が悪いとか、もはやそんな問題ではなく、構造的な問題と考えるべきでしょう。
この問題をどう解決していくか?
僕の中にはこんな問題意識があります。
卒論でも日本人の政治意識やデモクラシーーについてやりましたが、根底にあるものはこれなんです。
今回のRINGという活動に僕が協力しようと思ったのは、
この問題の一つの解決策につながるんじゃないかと考えたからです。
僕はそもそもの前提として、これからの日本には地方分権というか、
まぁこの「地方分権」という言葉を嫌う人もいるんで、「地域主権」と呼ぶような、
多極化が絶対に必要だと思っています。
中央が「型」を細かく作って、それを地方に強制するやり方はもうダメなんです。
ムダも多いし、画一化されていく地域は個性がなくなるし、
きれいな自然も壊されていくし。
それに何より、「自分の生き方を自分で考える」時代にふさわしくないのです。
これは二重の意味でいえる。
一つは中央集権的なやり方では、自由が利かないこと。
もう一つは、自分の「周り」を考えることの価値が担保されないこと。
前者は簡単な話です。
例えば愛知県西尾市(僕の地元)の踏切が詰まってて、これを広げたいとする。
でもいまのやり方って、まず中央官庁まで「担保」をとりに行かないといけない。
国交省が決めてるこまかな「ルール」や通達もある。
だから物事が決まるまでに時間もかかるし、無駄も出てくる。
後者はつまり、「自分の考えられる範囲」の問題です。
こういう政治活動をやってたり、政治思想なんてやってると、たまにこんな風に言われることがあります。
「みんなが政治のことを考えて、国会や政治家に興味を持つなんてムリだよ」
といった風に。
しかしここで一つ伝えたいことがあります。
僕は「政治」という言葉をとても広い意味で使っているということです。
また僕は、
「政治をやる=政治家になる」
とも全く思っていません。
以前「「政治」とは何か」というエッセイでも書きましたが、
僕は自分の頭で自分の理想や、社会の理想を考えること自体を「政治」と表現しています。
この観点から言えば後者の問題は分かってくると思います。
「理想の国」を考える人は100人いたら2,3人くらいしかいないかもしれません。
しかし「理想の県」について考える人は、100人中10人くらいはいるかもしれません。
もっと範囲を狭めて、自分の住んでいる市町村について
「街の理想」を持てる人はきっともっと多いはずです。
どんな国にしたいかなんて考えなくても、自分の住んでいるところに対して、
もっとこんな風になったらいいなぁとか
ここはおかしいなとか
考えることはきっと出来るんです。
だから中央集権は問題なのです。
そして中央集権を長い間維持させてきた張本人が、私たちの意識に他なりません。
だから制度もそうだけど、みんなの気持ちを変えないと絶対にうまくいかない。
なんで地域主権が必要なのか、
なんで民主主義なのかって
考えてみなければならないのです。
それは誰のためでもない、自分たちのためにです。
今日は少し長くなりましたw
今やってる活動が少しでも社会のためになったらうれしいです〆
(ここから僕の意見なんで、RINGメンバーで何かあればどうぞ)
大学生と国会議員がディスカッションした動画を流したり、
大学生の意見や思いを吸い上げて政治家に伝えたり、
逆に政治家が若い人に求めるものを吸収したり・・・
そんな企画をしています。
活動の目的を簡潔にいえば、ある種の「メディア」をつくること。
「政治」と若い人をつなぐリングになるということ。
そして若い人の「政治」に対する考え方を少しでも変えること。
これに尽きます。
日本では若い人の意見や主張が政治に反映されることが少ないように思います。
「政治は本当に若い人のことを考えているのか?」
こんな疑問も出てきます。
しかし20代前半の投票率は30%とか35%くらいしかありません。
日本では年を取るごとに投票率が上がっていき、60-70歳くらいがピークになっています。
選挙のことを考えない政治家はいません。
これは仕方がないことです。
誰が悪いとかそんな話でもないし、選挙はないよりかはあったほうがずっといいに決まっています。
「投票する権利を持っているのなら、それを使わなければもったいない」
「今の社会に不満を持っているのなら、投票で意思を示すべき」
こんな意見を皆さんも、よく耳にすると思います。
最も正論で非の打ち所がありません。
しかし今の日本では、
このことがなんか「胡散臭く」聞こえたり、
信憑性を持って考えられないような状況があるわけです。
「自分が何かやってもどうせ変わらない」
そんな風に思ってしまう。
そしてこの状況は、誰々が悪いとか、もはやそんな問題ではなく、構造的な問題と考えるべきでしょう。
この問題をどう解決していくか?
僕の中にはこんな問題意識があります。
卒論でも日本人の政治意識やデモクラシーーについてやりましたが、根底にあるものはこれなんです。
今回のRINGという活動に僕が協力しようと思ったのは、
この問題の一つの解決策につながるんじゃないかと考えたからです。
僕はそもそもの前提として、これからの日本には地方分権というか、
まぁこの「地方分権」という言葉を嫌う人もいるんで、「地域主権」と呼ぶような、
多極化が絶対に必要だと思っています。
中央が「型」を細かく作って、それを地方に強制するやり方はもうダメなんです。
ムダも多いし、画一化されていく地域は個性がなくなるし、
きれいな自然も壊されていくし。
それに何より、「自分の生き方を自分で考える」時代にふさわしくないのです。
これは二重の意味でいえる。
一つは中央集権的なやり方では、自由が利かないこと。
もう一つは、自分の「周り」を考えることの価値が担保されないこと。
前者は簡単な話です。
例えば愛知県西尾市(僕の地元)の踏切が詰まってて、これを広げたいとする。
でもいまのやり方って、まず中央官庁まで「担保」をとりに行かないといけない。
国交省が決めてるこまかな「ルール」や通達もある。
だから物事が決まるまでに時間もかかるし、無駄も出てくる。
後者はつまり、「自分の考えられる範囲」の問題です。
こういう政治活動をやってたり、政治思想なんてやってると、たまにこんな風に言われることがあります。
「みんなが政治のことを考えて、国会や政治家に興味を持つなんてムリだよ」
といった風に。
しかしここで一つ伝えたいことがあります。
僕は「政治」という言葉をとても広い意味で使っているということです。
また僕は、
「政治をやる=政治家になる」
とも全く思っていません。
以前「「政治」とは何か」というエッセイでも書きましたが、
僕は自分の頭で自分の理想や、社会の理想を考えること自体を「政治」と表現しています。
この観点から言えば後者の問題は分かってくると思います。
「理想の国」を考える人は100人いたら2,3人くらいしかいないかもしれません。
しかし「理想の県」について考える人は、100人中10人くらいはいるかもしれません。
もっと範囲を狭めて、自分の住んでいる市町村について
「街の理想」を持てる人はきっともっと多いはずです。
どんな国にしたいかなんて考えなくても、自分の住んでいるところに対して、
もっとこんな風になったらいいなぁとか
ここはおかしいなとか
考えることはきっと出来るんです。
だから中央集権は問題なのです。
そして中央集権を長い間維持させてきた張本人が、私たちの意識に他なりません。
だから制度もそうだけど、みんなの気持ちを変えないと絶対にうまくいかない。
なんで地域主権が必要なのか、
なんで民主主義なのかって
考えてみなければならないのです。
それは誰のためでもない、自分たちのためにです。
今日は少し長くなりましたw
今やってる活動が少しでも社会のためになったらうれしいです〆
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☆★僕の想いを伝える日記☆★
「この世の中はおかしい」。そんな風に思う人はきっと多い。理想の生き方とはなにか。理想の社会とはなにか。そんなことを考え続ける人間でありたい。
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Aichi
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38
性別:
男性
誕生日:
1986/06/17
職業:
コンサルタント
趣味:
アルティメットフリスビー、読書
自己紹介:
はじめまして。Aichiです。
コンサルファームでアナリストをやっています。
【生きていく上で大切にしたい3か条】
1.矜持を持つ
僕は「矜持」という言葉が好き。
自分を正当化するためのプライドなんて必要ない。
自分に変なプライドがあって、
自分の可能性を狭めているのなら、
そんな偏屈な自尊心はポイっしたい。
素直な心があってこそ、
「誇り」は自らの力となる。
2.「理想主義」であること
僕は「現実主義」という言葉が好きじゃない。
よく「現実を見ろ」っていいますよね。
でもそれって結局のところ「現状維持」なんです。
理想を描ける人になりたい。
理想を語ることのできる人になりたい。
そういう意味での「理想主義」です。
3.誰かのために頑張れること
「社会貢献」ってよく聞きますけど、
それは一体何を意味するのでしょう。
「自分のまわりの人たちを大切にすること」、
僕はそんな風に定義できるのだと思います。
もちろん“まわり”っていうのは様々な範囲がある。
だから、ボランティアでゴミ拾いをしている人たちや、
食糧支援をしているNGOだけが「社会貢献」を担っているわけではない。
本当に小さなことでもいい。
「あなたがいてよかった」、
そんな風に思ってくれる人が一人でもいてくれれば、
それは紛れもなく「社会貢献」なのです。
コンサルファームでアナリストをやっています。
【生きていく上で大切にしたい3か条】
1.矜持を持つ
僕は「矜持」という言葉が好き。
自分を正当化するためのプライドなんて必要ない。
自分に変なプライドがあって、
自分の可能性を狭めているのなら、
そんな偏屈な自尊心はポイっしたい。
素直な心があってこそ、
「誇り」は自らの力となる。
2.「理想主義」であること
僕は「現実主義」という言葉が好きじゃない。
よく「現実を見ろ」っていいますよね。
でもそれって結局のところ「現状維持」なんです。
理想を描ける人になりたい。
理想を語ることのできる人になりたい。
そういう意味での「理想主義」です。
3.誰かのために頑張れること
「社会貢献」ってよく聞きますけど、
それは一体何を意味するのでしょう。
「自分のまわりの人たちを大切にすること」、
僕はそんな風に定義できるのだと思います。
もちろん“まわり”っていうのは様々な範囲がある。
だから、ボランティアでゴミ拾いをしている人たちや、
食糧支援をしているNGOだけが「社会貢献」を担っているわけではない。
本当に小さなことでもいい。
「あなたがいてよかった」、
そんな風に思ってくれる人が一人でもいてくれれば、
それは紛れもなく「社会貢献」なのです。
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