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こんな問いに、いつか自分の納得のいく答えを出してみたいと思う。
最近は頭の中をアカデミズムに戻しているんで、日記の記事も自然とこういったものが多くなるかもしれません。
政治学ってある意味すごく広い学問なんです。
法学や行政学、実証学や思想史・哲学など様々な切り口がある。

ただ「政治」の不思議なところって、政治学そのものが「政治」を定義できていないところなんです。
政治学の発展とは、「政治とは何か」という問いを考えていく営みであったもといえる。
そして、僕はこの「考える」こと自体に価値があると思うわけです。
今日から僕なりの政治論を書いてみましょう。

政治を考える上で、「政治的主体」というものを考えてみたい。

もちろん近代的な意味における国家の誕生は、近代ヨーロッパにおいてです。
ヤコブ・ブルクハルトという歴史家が「芸術的創作としての国家」ということをいう。
日本では「作為としての国家」とも訳される。
つまりこれは「人間の手によって作り出される国家」という発想です。
政治的な主体の誕生ともいえるかもしれません。

この政治的主体論を政治学で最初に担ったのはマキャベリだとされる。
マキャベリは君主が主体的に国家を作り上げていくことを考え、そこに必要なヴィルトゥ(=徳、今でいうテクニック)を説いた。
ここでは君主は作為的であり、政治的な主体が想定されています。
つまり「国家は自分でつくりあげていく」のだと。
この思想の根底にはルネサンスからつらなる、ヒューマニズムの思想があることは言うまでもありません。
「人間中心主義」というやつです。
それまでの神中心の世界観からの脱却。
神から解放され、自分の足で立つ人間の主体性が論じられた歴史があるからこそ、マキャベリは「作為的」な国家論を主張できたのでしょう。

ただマキャベリズムの基本は暴力の集中と、民衆蔑視の思想です。
この時代においては、政治的主体は絶対君主ひとりです。
近代国家にとっての政治学とは、このように絶対君主のための政治学として出発したといえると思います。


しかし革命を期に、この構造も本質的な変化を遂げます。
その変化とは「市民」の誕生です。


・・・今日はもう眠くなってきたので、次回に続くということで〆
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Aichi
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38
性別:
男性
誕生日:
1986/06/17
職業:
コンサルタント
趣味:
アルティメットフリスビー、読書
自己紹介:
はじめまして。Aichiです。
コンサルファームでアナリストをやっています。

【生きていく上で大切にしたい3か条】

1.矜持を持つ
僕は「矜持」という言葉が好き。
自分を正当化するためのプライドなんて必要ない。
自分に変なプライドがあって、
自分の可能性を狭めているのなら、
そんな偏屈な自尊心はポイっしたい。
素直な心があってこそ、
「誇り」は自らの力となる。


2.「理想主義」であること
僕は「現実主義」という言葉が好きじゃない。
よく「現実を見ろ」っていいますよね。
でもそれって結局のところ「現状維持」なんです。
理想を描ける人になりたい。
理想を語ることのできる人になりたい。
そういう意味での「理想主義」です。


3.誰かのために頑張れること
「社会貢献」ってよく聞きますけど、
それは一体何を意味するのでしょう。
「自分のまわりの人たちを大切にすること」、
僕はそんな風に定義できるのだと思います。
もちろん“まわり”っていうのは様々な範囲がある。
だから、ボランティアでゴミ拾いをしている人たちや、
食糧支援をしているNGOだけが「社会貢献」を担っているわけではない。
本当に小さなことでもいい。
「あなたがいてよかった」、
そんな風に思ってくれる人が一人でもいてくれれば、
それは紛れもなく「社会貢献」なのです。
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