そして明日中間発表なのです
しかも英語です
あ~Shit!!
自分で何が書きたいのかよくまとまっていないので日記に書いてみることにします
だからあまり期待しないでください(笑)
「靖国神社について~日本人の心のディレンマ~」
日本人にとって靖国神社とは何か。僕はこれを心の問題として捉えたい。もうすでに国際問題化してしまっているが、これを外交問題として考えることはしない。今回は靖国神社について、日本人の心の問題として書きたい。現在靖国神社には約250万人が英霊が祀られている。靖国神社には明治からの戦没者たちが祀られている。僕の曾おじいちゃんもそこにいる。坂本竜馬や吉田松陰ら明治の志士らも祀られている。しかし靖国神社には先の大戦でA級戦犯とされた者たちも一緒に祀られているのである。靖国神社に戦争責任者とされた人間が他の戦没者と供に祀られているのはおかしいのではないか。確かにその通りである。被害者と加害者を供に扱うというのは可笑しな話であるいや、そうとも言い切れないのではないか。A級戦犯たちが加害者で、国民は被害者なのであろうか。戦争とはそんなものだろうか。それに東京裁判において、ある意味責任を取るという形で、日本人の代表者として死刑を受け入れた者たちを祀るのは明らかに可笑しいとはいえないのではないか。僕はどちらの意見もある程度理解できるのものであると思う。だからこそ日本人は靖国神社に対して、何か煮え切らない気持ちを抱いてしまうのではないか。ある種の葛藤を抱いてしまっている状態になってはいないだろうか。結局僕は靖国神社を考えるということはA級戦犯を考える、即ち東京裁判を考えることだと思う。自分の中で歴史の整合性を見出すことが出来ればこのディレンマを乗り越えるのではないかと思うのである。
まず考えなければならないのが東京裁判自体の是非である。詳しくは書かないが、この裁判自体が不遡及の原則に反しており、検事が裁判官を兼ねてはならないという近代法の原則を侵しているという問題。包括して管轄権問題と言われるものである。この裁判自体に正当性があったのかという問題である。
続いて裁判における被告らが訴求された罪についてである。A級戦犯とされた被告らの罪状である「平和に対する罪」「通例の戦争犯罪及び人道に対する罪」については、これもまた問題を抱えている。日本だけが特別悪いことをしたのか。日本のおこなった戦争は侵略戦争であったのか。そもそも侵略戦争とは何なのか。原爆を落とした国に、追及される筋合いはあるのかどうか。また東京裁判はニュルンベルク裁判をモデルに作られたものであり、ナチスのやっていた事と日本がやっていた事は根本的に違うのではないか。
さらに考えるべきはA級戦犯とされた人々に対する対応である。東京裁判において被告らはA級戦犯として刑罰を受けた。そしてサンフランシスコ講和条約において、つまり日本が独立国となる講和条約において日本は東京裁判を受け入れることを承認しているのである。つまり国際的にはA級戦犯を戦争責任者として犯罪者として認めているのである。しかし国内でA級戦犯に対する見方はズレがあるのである。A級戦犯は国内法においては「犯罪者ではない」との政府判断、さらに国会におけるA級戦犯の赦免決議、遺族への慰霊金・恩給の支給を考えれば、彼らが犯罪者として捉えられていない分かる。A級戦犯の人たちは「殉職者」なのである。
つまりはA級戦犯が合祀されている靖国神社に対し複雑な感情を抱いてしまうのは、日本の戦争の総括が出来ていないからなのではないか。あの戦争自体の是非。東京裁判の是非。そして戦後の様々な対応について是非。これらをもっと議論し、歴史を鑑み、自分の中で戦争の総括をする必要があるのでないだろうか。日本人が靖国神社に対して複雑な気持ちを抱いてしまうのは、「戦争とは?」を考えてこなかったからではないだろうか。
まぁこんな感じですかね...
どうも伝えたいことがまとまらないんです...
困ったものだ(ー_ー)!!
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- プロフィール
コンサルファームでアナリストをやっています。
【生きていく上で大切にしたい3か条】
1.矜持を持つ
僕は「矜持」という言葉が好き。
自分を正当化するためのプライドなんて必要ない。
自分に変なプライドがあって、
自分の可能性を狭めているのなら、
そんな偏屈な自尊心はポイっしたい。
素直な心があってこそ、
「誇り」は自らの力となる。
2.「理想主義」であること
僕は「現実主義」という言葉が好きじゃない。
よく「現実を見ろ」っていいますよね。
でもそれって結局のところ「現状維持」なんです。
理想を描ける人になりたい。
理想を語ることのできる人になりたい。
そういう意味での「理想主義」です。
3.誰かのために頑張れること
「社会貢献」ってよく聞きますけど、
それは一体何を意味するのでしょう。
「自分のまわりの人たちを大切にすること」、
僕はそんな風に定義できるのだと思います。
もちろん“まわり”っていうのは様々な範囲がある。
だから、ボランティアでゴミ拾いをしている人たちや、
食糧支援をしているNGOだけが「社会貢献」を担っているわけではない。
本当に小さなことでもいい。
「あなたがいてよかった」、
そんな風に思ってくれる人が一人でもいてくれれば、
それは紛れもなく「社会貢献」なのです。
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