1637年の6月頃、天草と島原の庄屋格の人々が湯島という天草地方と島原地方の間にある島で談合を始めるようになりました
本格的に一揆を計画するためです。
天草四郎は一揆の総大将でありましたが、実際に戦術を考え、計画を立てたのは、浪人たちが中心であったとされています。
天草四郎は皆の精神的な支えであったのです。
この湯島の談合の後から「最期の審判の日が近い」などという廻し文がこの地方の人々の間に出回るようになります。
浪人たちがそう触れて回ったのです。
四郎の精神的な癒しと、背後の戦略によって、農民たちを鼓舞していったのです。
そしてついに江戸時代を通して最大の一揆とも言われる戦いが始まるのです。
きっかけは農民たちが一揆について集会をしていたところに役人が踏み込み、怒った村人がその代官を殺害するという事件でありました。
その事件を聞いた人々は武器を手に取り、立ち上がったのです。
この流れはあっという間に島原・天草地方に広がりました。
島原と天草で大勢の領民たちが蜂起をする事になったのです。
ちなみに上の写真は彼らが軍旗としたものです。
旗にはポルトガル語で「いとも尊き聖体の秘蹟ほめ尊まれ給え」記されています。
彼らはこの旗を精神的支柱となしたのでした。
一揆勢は勢いに乗って、どんどん進行していきました。
天草勢は唐津・寺沢藩の軍勢を破り、一時、富岡城を包囲をしてしまいます。
最終的に富岡城を落とす事は適いませんでしたが、明らかに普通の農民一揆とは違いました。
その事は幕府の人間も理解していたようです。
彼らは戦いには素人でした。
実際には一揆には農民のみならず、浪人たちも参加していたため、一概には言えません。
しかしながら官軍に立ち向かえるような組織ではありえません。
では何故人々は戦い、実際に官軍を苦しめることが出来たのでしょうか。
それは
彼らには自分たちの大儀があったからなのです。
戦いにおいて何が一番大切なのか。
それは気持ちなのです。
「錦の御旗」という言葉が日本にはあります。
官軍が強いのは、良い装備をしているからではないのです。
自分たちに正当性を感じられるからこそ
自分たちの大儀を信じれるからこそ
人は真剣に命を懸けて戦えるのです。
彼らには信仰という「錦の御旗」改め、「基督の御旗」があったと言えるのかもしえません。
富岡城を後にした天草勢はその後、海を渡ります。
口之津の藩の倉庫を襲って武器弾薬や食糧を奪って、
原城に先に籠もっていた島原の一揆勢と合流するのです。
幕府はこの一揆を鎮めるために五万の大軍を送りました。
一揆勢の総数は女子や年配者を含め、凡そ3万8千人であったとされています。
幕府軍を仕切っていたのが板倉重昌という男です。
しかし彼はなかなか原城を攻略出来ません。
五万の幕府軍を以てしても、四郎の下に結束する一揆勢を破ることが出来なかったのです。
幕府はこれを見て、更なる追加派遣を決定をします
なんと江戸幕府老中、松平信綱を直接派遣する事にしたのです。
これは如何に幕府がこの一揆を恐れ、重大視していたかという事を表わしています。
しかし板倉重昌にとってはなんて不名誉な事でしょう。
自分は幕府に信用されていないと、公に示されたも同然なのですから。
彼は焦って、原城に総攻撃を行います。
そして戦死する事になります。
一揆勢、いやここまできたら立派な軍隊と言えるでしょう。
一揆軍は幕府が派遣した総大将を倒してしまうのです。
人々は喚起したに違いありません。
しかしそれもまた、ひと時の夢でありました。
幕府が派遣した松平信綱という人間は、戦国時代を生き抜いてきた百戦錬磨の武将です。
彼はオランダの軍艦から原城の背後を砲撃をさせ。
自らは兵糧攻めという策をとります。
原城に篭った人々は3万8千人
いくら、海に面していて魚が釣れるとはいえ
いくら溜め込んであった食料があったとはいえ
人々は飢えに苦しむようになります。
一体彼らは何を考えたのでしょうか。
食べるものがなくて、次々と餓死者が出てきます。
それでも逃げ出す人々は少数であったと言います。
彼らが極限状態で何を考え、
天草四郎が何を想ったのか、
僕はそこに、時代に逆行する人間の辛くて切ない想いを感じます。
<続>
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「この世の中はおかしい」。そんな風に思う人はきっと多い。理想の生き方とはなにか。理想の社会とはなにか。そんなことを考え続ける人間でありたい。
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男性
誕生日:
1986/06/17
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コンサルタント
趣味:
アルティメットフリスビー、読書
自己紹介:
はじめまして。Aichiです。
コンサルファームでアナリストをやっています。
【生きていく上で大切にしたい3か条】
1.矜持を持つ
僕は「矜持」という言葉が好き。
自分を正当化するためのプライドなんて必要ない。
自分に変なプライドがあって、
自分の可能性を狭めているのなら、
そんな偏屈な自尊心はポイっしたい。
素直な心があってこそ、
「誇り」は自らの力となる。
2.「理想主義」であること
僕は「現実主義」という言葉が好きじゃない。
よく「現実を見ろ」っていいますよね。
でもそれって結局のところ「現状維持」なんです。
理想を描ける人になりたい。
理想を語ることのできる人になりたい。
そういう意味での「理想主義」です。
3.誰かのために頑張れること
「社会貢献」ってよく聞きますけど、
それは一体何を意味するのでしょう。
「自分のまわりの人たちを大切にすること」、
僕はそんな風に定義できるのだと思います。
もちろん“まわり”っていうのは様々な範囲がある。
だから、ボランティアでゴミ拾いをしている人たちや、
食糧支援をしているNGOだけが「社会貢献」を担っているわけではない。
本当に小さなことでもいい。
「あなたがいてよかった」、
そんな風に思ってくれる人が一人でもいてくれれば、
それは紛れもなく「社会貢献」なのです。
コンサルファームでアナリストをやっています。
【生きていく上で大切にしたい3か条】
1.矜持を持つ
僕は「矜持」という言葉が好き。
自分を正当化するためのプライドなんて必要ない。
自分に変なプライドがあって、
自分の可能性を狭めているのなら、
そんな偏屈な自尊心はポイっしたい。
素直な心があってこそ、
「誇り」は自らの力となる。
2.「理想主義」であること
僕は「現実主義」という言葉が好きじゃない。
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でもそれって結局のところ「現状維持」なんです。
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「自分のまわりの人たちを大切にすること」、
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もちろん“まわり”っていうのは様々な範囲がある。
だから、ボランティアでゴミ拾いをしている人たちや、
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本当に小さなことでもいい。
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そんな風に思ってくれる人が一人でもいてくれれば、
それは紛れもなく「社会貢献」なのです。
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